これなに
人間という生き物は、目の前にあるものを『普通』だと思う力(慣れ)と、道具との作用を行う能力が凄いなと改めて思ったのでそれについて。
なぜ人間はイノベーションを繰り返すのか?
人間はこれまで何度も何度もイノベーションを起こしてきた。古代で言えば、火というイノベーションを、鉄砲というイノベーションを、蒸気機関というイノベーションを、インターネットというイノベーションを…
思えば、これだけイノベーションが繰り返されれば、もうイノベーションが起こらないということがあってもおかしくないような気もする。それほどまでに僕たち人間は遠くまで来てしまっているような気がする。
それでもなお、イノベーションは起こり続ける。AIやブロックチェーン、宇宙産業の発展なんかも目覚ましいものがあるだろう。50年前の人が見たらもはや理解することすら出来ないんじゃないだろうか。
このような人間のイノベーションを生む源泉に関して、①人間の『普通だと思う力』(慣れる力)と、②道具との作用を行える習性が大きく関係しているんじゃないかなと思う。
普通で当たり前って実はめちゃすごいよ
たまに思う。10年前はYoutubeをこんなに見ていなかったし、Tiktokにこんなに時間を使うとは思わなかった。まさか、テレビを見なくなるなんて思わなかったし、Amazonでものをこんなに買うとは思わなかった。
でも、こうした習慣はもはや『普通』- 当たり前になっている。僕は現代のテクノロジーに慣れてしまっており、今更、10年前の行動習慣を思い出すことすらままならないほどに、慣れてしまった。
あるテクノロジーが、とても便利で、とても楽しくて、毎日使うようなとき、それはもはや僕らにとってのインフラになる。インフラは整っているのが普通で、無いなんて考えられない。あって当たり前なんだ。インフラに対して、毎日こんな事出来るのか?凄いな?とは驚かないし、毎日それが無かった過去を振り返るようなことはしない。
あまりに便利であまりに日常に溶け込むが故に、テクノロジーはインフラ化し、人間はそれを普通で当たり前なものと捉える。
民主主義だって、国家だって、法律だって、全部人間のイノベーションだ。
人間が創ったものであり、誰も何もしなくても、そこにあったものではない。だから僕らがそれを放棄すればなくなるし、別に絶対的なものですら無い。
にも関わらず、人は生まれた瞬間から当たり前にあって、当たり前に日常に溶け込んでいるこれらのイノベーションをもはや、人が創ったものと思うことすら難しい。誰が創ったに関わらず、それは多くの場面でインフラになっている。インフラになれば、その当たり前さに目を向けることなんて殆どないし、その存在意義すら疑わない。
僕らは、生まれたときから当たり前にあるものや、もはや当たり前になってしまったものを、インフラ = “土台”と捉える。一つ前の時代の”イノベーション”が次の時代の”土台”(インフラ)になる。
そして、その土台の上に、全ての生活が行われ、全ての創作活動が行われる。
道具との作用
イノベーションをインフラ化し、普通で当たり前だと思う人間の能力こそが、イノベーションを生む源泉だ。
この能力は、人間が、環境との作用で自己を決定していくことに長けた生物で有ることを顕著に示している。
人間がどんな環境でも一貫した能力、性質を示すことなんてない。人間は極めて社会的な動物だ。周りの環境に応じて、その行動・性質が変わる。
もし人間が生来固有のパラメータを持っていて、生来固有の成長曲線を持っているとすれば、イノベーションが次々と生まれるということは人間という種そのものの個体値が常に向上しているという話になるが、残念ながら人間の体の構造が大きく変わっていることなんてない。
つまりだ。人間が固有のパラメータを持っており、固有の成長曲線を描くことなんてなく、それはあくまで柔軟で、あくまで環境との作用の中で、内的なパラメータが決定されていく。
人間という種のアセットは常に社会にあり、社会に残すことこそが、種の進化なんだ。
だからこそ、インフラ化したイノベーションを環境として育った人間は、次の時代のイノベーションを生むことが出来るのだ。彼らにとっての環境とは、前時代のイノベーションがインフラ化した時代なのだから。
そして、環境との作用で自己を決定していく人間にとって、欠かせないのが『道具』の概念だ。
AIが凄いのは、AI単体が凄いからではない。AIというレンズを通して、世界を再解釈出来るのが凄いんだ。インターネットが凄いのはインターネット単体が凄いからではない。インターネットというレンズを通して、世界を再解釈出来るのが凄いんだ。
僕ら人間は、道具との作用の中で、世界を観察することが出来る。道具の数だけ世界の見方を変えることが出来る。
火がない時代に食べれなかったものが食べれるものに見える。インターネットがなければただのゴミだった物が、人に売れる資産に見える。
道具との作用で世界を見る。道具で何が出来るか?を考える。その道具は進化し続けている。だからこそ僕ら人間は毎日違う世界を見ているし、毎日違うものが創れる。
繰り返しになるが、人間という種の生体パラメータは別に向上していない。
向上したのは、社会にあるイノベーション化したインフラであり、道具(テクノロジー)であり、道具を通して見る世界なんだ。僕らは道具との作用の中で世界を再解釈し、新しい見方を手に入れる。
おまけ
最近web3.0という概念が色々な所で語られており、なんか壮大な話だな。こんなの実現するのかな。と思った時に、今ある各種技術が当たり前になった時代に生まれてくる10年後の子どもたちのことを考えた。そう考えると、全然壮大じゃないし、むしろ当たり前に導き出される世界なのかもしれない。彼らにとってTiktokもブロックチェーンも当たり前のインフラだもんな。